東京地方裁判所 昭和53年(ワ)3237号 判決 1980年8月28日
原告
谷塚実
右訴訟代理人
設楽敏男
同
阪本清
被告
美研工芸株式会社
右代表者
真島富男
右訴訟代理人
西幹忠宏
同
寺崎政男
主文
一 被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物<略>を明け渡し、昭和五三年三月一日から右建物明渡済まで一か月金一七万円の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は、被告の負担とする。
事実《省略》
理由
一請求原因1記載の事実〔編注・(一)
原告の父谷塚鹿之助は、その所有にかかる別紙物件目録記載の建物部分(以下「本件店舗」という。)を、昭和四六年三月二四日、被告会社に対し、使用目的は営業用店舗とする、期間は三年とし、その後二年間につき更新することができる旨の約定により賃貸し、引き渡したが、鹿之助は昭和四八年四月二九日死亡し、原告が右建物の所有権を相続により取得し、被告会社に対する本件店舗の賃貸人の地位を承継した。
(二) 原告と被告会社とは、合意により、本件店舗の賃貸借契約を昭和四九年三月二四日から二年間及び昭和五一年三月二四日から二年間更新する旨合意した。
(三) 本件店舗の資料は、昭和五一年三月二四日以降一か月金一七万円である。〕は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
1 本件店舗のある東京都台東区松が谷及び道路を隔てた西浅草付近は道具類の専門店が数多く軒を並べる合羽橋道具街としてその名を知られている地域であり、訴外真島伸行は、その界隈に自宅のほか七か所の店舗、工場等を所有し、そのうち五か所を自己が代表者である株式会社東京美研(食品のサンプル製造販売業。以下「訴外東京美研」という。)に賃貸し、三男勇、四男且佳らにその営業を手伝わせている。伸行の長男富男は被告会社の代表者であり、被告会社は昭和三八年ころから料理・飲食店用プラスチック製看板、電飾看板等を製造販売しているが、その工場は訴外東京美研の工場を共用し、その本店の店舗は伸行所有の西浅草一丁目五番一四号所在の店舗を賃借しているものであり、その営業拡張のため昭和四六年に本件店舗を賃借したものである。伸行の二男友久は伸行の残りの一店舗を賃借してギフト美研の名称で記念品等の販売業を営むかたわら、他から賃借した店舗でスナックを経営している。
2 訴外実誠堂は、その所有にかかる台東区松が谷二丁目四九番地二所在の四階建店舗工場居宅(床面積各階約一〇六平方メートル)で活字の製造及び販売を主たる業として営んできた会社であり、原告は、同建物に妻及び三人の子と住んで同会社の経営に当つてきたが、昭和四六年一二月に父鹿之助から同会社の代表者の地位を受け継いだ。鹿之助は、自己所有の本件店舗の二階に妻と居住し、小遣銭稼ぎのため、その階下である本件店舗を不動産仲介業者訴外内田輝男(以下「内田」という。)の仲介により、伸行との話合の結果に従つて被告会社に賃貸した。鹿之助は昭和四八年に死亡し、原告は相続により本件店舗の所有権を取得し、被告会社に対する賃貸人の地位を承継したが、近年写植印刷の技術が普及したことにより活字の製造販売業が斜陽化の一途にあることから、その経営に危機感を抱き、長男正実(昭和三二年生)には近い将来本件店舗で新親の事業を営ませなくてはならないと考えるようになつた。
3 そこで原告は、昭和四九年三月、内田の事務所において、本件店舗の賃貸借契約の更新の話合に来た伸行に対し、子供に商売をやらせたいから二年経つたら必ず本件店舗を明け渡して貰いたい旨伝えたところ、伸行はこれを了承したので、右話合いの結果に従つて原告と被告会社との間に昭和五一年三月二三日まで二年間の約束で賃貸借契約が更新された。翌昭和五〇年になると、原告は内田に対し、本件店舗の賃貸借契約更新拒絶の意思表示をして貰いたいと依頼したが、内田は、伸行とは親しいことでもあり、法規どおりの手続を踏まなくとも紳士的に話がつくものと考えて六月以上前の更新拒絶の意思表示をせず、昭和五一年になつてから伸行に対し、三月二三日の期間終了時に本件店舗を明け渡して貰いたい旨連絡したところ、伸行から賃貸借契約をさらに更新して貰いたい旨の返事を受けたので、これを原告に伝えた。そこで、原告は、弁護士に相談の結果、弁護士から、本件賃貸借契約を昭和五一年三月二三日限り合意解約し、新たに期間を二年とする一時使用のための賃貸借契約を締結し、これにつき即決和解をする旨の内容の手書の店舗一時賃貸借契約書を渡され、これによつて契約するよう指導されたので、右の書面を内田に渡し、その内容により契約を成立させて貰いたい旨依頼した。内田は、自己の事務所において右の書面を伸行に示して説明し、その内容で契約するよう求めたが、伸行からそれほど堅苦しいことをしなくても紳士的に話を決めればよいではないかと言われたので、それならば従前どおり公正証書を作成するとともに、今回は特に期間終了時に被告会社が必ず本件店舗を明け渡す旨の念書を差し入れて貰いたいと提案し、これにつき伸行の了承を得た。次いで、原告、内田及び伸行が内田の事務所において最終的な契約内容の詰めをしたが、その際、伸行は、被告会社は二年内に他の店舗を探して本件店舗を期限に必ず明け渡す旨言明した。そこで、昭和五一年五月二五日、原告、内田及び被告会社代表者富男の三人が公証人役場に赴いて公正証書の作成を得た。右公正証書は、単純に本件賃貸借契約を更新する旨の内容のものであるが、内田は、伸行との前記話合の結果に基づき、その日のうちに「本契約期限満了時に必ず現賃借店舗を明渡す事を此の書を以つて約す」との文書を含む念書を作り、これに署名を得るため被告会社の本店に赴き、居合わせた者に頂けたところ、富男は、父伸行に右書面の取扱いについて相談の上、被告会社の記名印及び代表印とは異なる真島名の印を押捺し、日ならずして内田の事務所に届けたので、内田は、その書面の作成日付を公正証書の作成日付に合わせて同月二五日と記入し、ここに念書が完成された。以上の事実を認めることができ<る>。
二1 右認定の事実によれば、原・被告間において、昭和五一年五月二五日ころ、本件店舗の賃貸借契約の更新の合意に際し、念書の作成により、更新後の賃貸期間二年の経過する昭和五三年三月二三日限り本件店舗の賃貸借契約を解約する旨の期限付合意解約が成立したものということができるところ、建物の賃貸借契約の更新に際して期限付合意解約がされた場合において、相当の事由のあるときは、右の合意は、借家法第一条の二、第二条に違反し、同法第六条により無効となるものではなく、有効と解される。
2 前認定の事実によれば、原告は昭和五一年当時本件店舗を直ちに使用しなければならない事情に迫られていたものではないが、訴外実誠堂の営業の将来性についての見通しからして、近い将来自己の子を独立自営させるため本件店舗を使用する必要性が確実に生ずることを予見し、右合意解約の申入れをしたのであり、<証拠>によれば、訴外実誠堂は、昭和五四年にその営業の本拠であつた前記四階建店舗工場居宅を売却して活字の製造を廃止し、新たに店舗を賃借して活字の販売を主とする営業を続けることになり、これに伴い、原告の家族も一旦原告の購入したマンションに引越したが、結局営業の都合上、右の店舗に近い本件店舗の二階に転居したことを認めることができ、右事実は、前記の合意成立後の事情ではあるが、原告の前記見通しが現実化したものであり、その見通しの正しさを裏付け、自己使用の必要性を高めるものでこそあれ、これを低めるものではない。
これに対して、前認定のとおり、原・被告間に締結される契約に関しては、伸行が原告との間において契約内容のすべてを事前に確定した後、富男が形式的に被告会社の代表者として契約書等の作成に関与するだけであつたこと、<証拠>によれば、被告会社の代表者の実印及び富男個人の実印をはじめ重要な契約書等はすべて伸行が保管していること及び前認定の事実並びに弁論の全趣旨を総合すれば、伸行は、自己の子を援助しつつ逐次独立自営の途を歩ませているものであるが、被告会社は、伸行の長男富男の独立自営のため設立されたものであつて、今なお伸行の強い支配力・影響力を受け、かつ、今後においてもその援助を受けることが十分期待でき、現実に本店の店舗及び工場が確保されているので、本件店舗を明け渡したとしても直ちに営業に窮するという事情もない。
3 以上原・被告双方の事情を比較考量すれば、本件期限付合意解約成立の時点において原告に本件店舗の賃貸借契約を解除し又はその更新を拒絶し得る自己使用の必要その他正当の事由が存在したとまでいうことはできないにしても、近い将来それが存在することになる確実な見込みがあつたことから、当時原告に正当事由に準ずる事情があつたものということができ、本件期限付合意解約が賃借人である被告会社の無知又は窮状に乗じてなされた等の事情もない本件においては、右合意をするにつき相当の事由があるものということができる。
よつて、本件期限付合意解約は有効である。
三よつて、原告の請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担について民訴法第八九条を適用し、なお仮執行の宣言の申立は相当でないからこれを却下することとして、主文のとおり判決する。
(久保内卓亞)
物件目録<省略>